じしんをおぼえてるよ
今朝、小学一年生のちび兄が、震災のニュースを
目にして言いました。
「きのう、学校で、もくとうをしたよ」
「じしんのこと、まだおぼえてるよ」
*****
二年前、東日本大震災があったとき、ちび兄は年中さん。
ちび弟は年少々さん。
何度もなんども地面と建物が大きく揺れる中、
防災ずきんをかぶって、先生たちの指示通りに
机の下に避難した小さな園児たち。
保育園の建物は古かったけれど、どこも壊れることもなく
怪我をした園児は一人もいなかったと聞いています。
うちの子供たちは、夫が自転車で夜7時ころ
迎えに行くことができましたが、
一晩、保育園で過ごした園児と先生もいたそうです。
私は当時、電車で一時間以上かかる場所に職場がありました。
夫が子供たちを迎えに行くのなら、
それまで保育園の先生が守っていてくださるのなら、
電車が止まっている状況で、私は無理に帰宅しようとせず
自分の身を守ることをまず考えよう、と会社から帰るのを
あっさりとあきらめました。
夫も私も都内で働いていたとしたら、
私も何とか帰宅しようと考えたかもしれません。
夕方暗くなるにつれて、揺れの中で迎えを待つ園児たちは
保育園のお部屋で、何を思っていたのでしょう。
震災当日は子供たちを守ることに、ただ必死でいて下さった先生方。
おそらく週明けに、「たくさんの子供の命を預かる」ことの
重大さを改めて考えたのだと思うのです。
地震だけではなく、放射性物質から子供たちをどう守るか。
給食の材料をどう調達するか。
保育園からは、できるならば自宅保育で、という
お願いが出ました。
給食は中止され、お弁当になり、水は家庭から水筒で持参。
園庭遊びもなし。卒園式も中止。
地震のすぐ後、先生方の過敏な様子に、
今は保育園に安心して預けることはできない、
可能な限り、自分で責任を持って子供を見た方がいい、と
私は思いました。
保育園が落ち着きを取り戻したのは、春休みを過ぎ、
計画停電が終わり、水道水が安心して飲めるようになり、
船橋市が行った園庭の放射性物質の測定で
安全基準をクリアした、夏ごろだったかと思います。
そのころ、私の気持ちも少しは落ち着いてきたように思います。
そして、今でも大きめの地震の時、子供たちは自主的に机の下に隠れます。
揺れに対しては、そんなに怖がっている様子は見えません。
*****
「そっかー、おぼえてるんだ」
「うん」
「お母さんも、黙とうしたよ」
「そうなんだ」
それしか言葉が出なかったけれど。
どんな風に、覚えているのか分からないけれど。
震災の記憶はまだ、私たちの心の中で小さくなってはいないのです。
|