まだ書けない3.11に思うこと
東日本大震災に思うこと。
昨年の三月は、書こうと思ったけれど、書けませんでした。
この大地震は、私にとっては全然過去のことなんかじゃなくて、
何度も書こうと思っても、感情の整理がつかず、
何をどう書いたらいいか分からなくなって
キーボードを打つ手が止まってしまうんですけれど、
今なら少しは書けそうな気がします。
一つ思うのは、この地震が地震だけであったなら、
原子力発電所の事故がもし無かったら、
福島、東北の復興はどんどん進んだのだろう、ということ。
そして私に子供がいなかったら、
こんなにいろんなことを考え続けていなかっただろうな、とも思います。
今でも、その日のこと、その後に起きたこと、
その時に感じたこと、考えたことを書こうとすると、
涙がにじんでしまって、うまく言葉に出来ないんです。
感情については書けなくても、それを引き起こしたできごとなら
書けそうな気がするので、つらつらと書き出してみようと思います。
◆震災当日のこと
大きな地震の揺れの中で、保育園で守られているであろう
子供たちのことを思いながら、仕事をしていたとき。
仕事をしながら、今日は品川から帰れないだろうと覚悟し、
落ち着いて仕事をしよう、と職場の周囲のざわめきをよそに
仕事をどんどん進めていたとき。
幕張の夫が早く帰宅し、子供たちを迎えに行くとのメールを受け取ったとき。
夕方、保育園に電話がつながり、園児全員の無事を確認できたとき。
家が遠くても、なんとしても帰ろうとする大勢の人たちを見たとき。
職場近くの同僚の家で一晩お世話になり、皆で
鍋を囲みながら、テレビで交通情報と津波の様子を繰り返し見たこと。
◆週末のこと
翌朝、長い時間、電車を乗り継いで帰宅し、
まず最初に、鍋やペットボトルやお風呂に水を張ったこと。
スーパーに行って、停電時でもすぐに食べられる食品を買ったこと。
会社から帰宅するとき、液状化する道路を歩きながら、
津波が来るのではないかと怖かった、と夫が言ったとき。
幼児と赤ちゃんのいる茨城の兄家族が、避難所から
東京の義姉の実家に移動したと聞いたとき。
避難所のアレルギー児たちのことを思ったこと。
福島が大変なことになっている、と気づいたとき。
◆週明け月曜日のこと
週明け、出社を最初からあきらめ、
電話の通じない保育園の状況を見に行くと、
いつもの穏やかな様子はまるでなく、
不安と緊張を顔に浮かべた先生方を見たとき。
スーパーが計画停電で閉店したり、棚が空になったのを見たとき。
福島の状況を知りたくて、何度も検索し、
原発村の知らなかったことや、チェルノブイリのその後を知り、
あまりに無関心でいた自分に気づいたとき。
報道は、すべてを伝えるわけではなく、
情報は切り取り方によって、事実をそのままではなく
都合よく変えて伝えることができると気づいたとき。
◆週明け火曜日のこと
計画停電に備えながら、ウェブで原発関連のニュースを見続け、
子供たちを札幌の実家に避難させようと決めたとき。
職場に相談の電話をしたら、帰宅命令が出ていて全員いなかったこと。
仕事のシェアパートナーに、できるだけ自分がサポートするので
お子さん達を見てあげてくださいとメールで言われたとき。
自分の首筋の両側に出来た、リンパの固くて大きい腫れに驚いたとき。
空港にバスで移動中、窓から海を見て、
怖がってしがみついてきた上の子供。
札幌に移動したと聞いて、少し落ち着いて考えたら、という
夫の言葉に温度差を感じたとき。
◆週明け水曜日のこと
実家でも、子供には地震や津波の映像を見せないようにして、
携帯で原発のニュースを見続けたこと。
子供たちを実家に置いて、私は仕事に戻ろうと考えていたものの
親が子供たちの様子を見て、上はともかく
3歳の下の子供は、私がついていないと無理だと思うと言われたとき。
電話で、上司に東京に帰ってくるときは
お子さんたちと一緒にしてくださいと言われたとき。
派遣会社に今週は休みますと電話したとき。
◆週明け木曜日のこと
友人たちに頼まれ、電池や懐中電灯を探したら、
札幌でも品切れしていて、代わりになるものを必死で探したこと。
お弁当の材料になる食材をダンボールづめして送ったこと。
私だけが原発から逃げた、という罪悪感が頭から離れなかったこと。
◆その翌週のこと
少し原発が落ち着いたように見え、子供と帰ると決めたものの
本当に帰宅してもいいのか、と迷い続けたこと。
出社して、あまりに通常どおりの都内中心部の様子と、
計画停電が続く千葉の違いに愕然としたこと。
地震後、会社を休んで、子供とともに関東から避難したことに対して
寛容な人も、とても冷たい感情を持つ人もいる、という
覚悟の上の事実。
取水源で放射性物質が検出された、という地域放送。
◆3月末のこと
保育園の卒園式が中止されたこと。
保育園の園庭遊びがなくなったこと。
雨の自転車送迎で、子供たちと雨水に触れたとき。
停電の中を子供たちと過ごしたとき。
揺れるたびに、大丈夫だよ、心配ないよ、と
子供と自分に言い聞かせたこと。
2月からの予告通り、社内全体の部署の編成が大きく変わり
派遣社員は全員、5月以降の契約延長なし、と通告があったこと。
◆翌月4月のこと
有給休暇を使いながら、転職活動。
都内のパート派遣の求人がほとんどない。
あっても時給も低く、交通費も出ないという状況。
都内ではなく、船橋近辺や、在宅で仕事を探し始めたこと。
計画停電の終了。
◆初夏に
スーパーに並んだ、つややかで、
とても大切に育てられてきたとわかる
安値で山積みになっている福島産の桃を見たとき。
東北産の野菜を何度も手に取って、カゴに入れられずに
棚に戻したとき。
大きな揺れがあるたび、都内ではなく
子供の近くにいられることに、これでいいんだ、
と改めて思ったこと。
在宅グルメライターの期間限定の仕事が終了し、
転職活動の一環として、サイト作成とブログを始めたとき。
◆現在
自宅から自転車20分の飲食店で在勤中。
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それぞれのできごとがあったときに、感じていたこと。
複雑すぎて、多すぎて、書けないけれど。
「子供たちの身体を守るにはどうしたらいいのか」
「子供の心を守るにはどうしたらいいのか」
肌身離さず子供と一緒にいる、ということが
最善とは、私はまったく思わないし、
自分のそばにいたから安全というわけではないし、
誰かに信頼して預けた以上、何が起きても自分の責任、
と思ってはいるけれど
震災は、子供と遠く離れた場所で働く、ということに関して、
大きく考え方を変えたできごとでした。
私には何も言う権利がないかもしれないと思い続けた2年間。
自分の子供を守ることを考えるばかりで、
原発に対しても、復興に対しても、何の活動もしませんでした。
でも、これだけは。
東北・福島にいる人たちが、福島にいた人たちが、
何より福島の子供たちが守られることを切に願っています。
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