小野寺先生
きっかけは、ただ、一番近い駅にある小児科だった
ってことなんだけど。
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長男は、しょっちゅう病気にかかる赤ちゃんでした。
新米母だった私は、夜中、苦しそうにしている
赤ちゃんを一晩中抱っこして、
ほとんど眠らず過ごしたものです。
眠っている間に、もし死んじゃったら
どうしようって、心配で心配でたまらなかった。
そんな次の朝は、私はきまって小野寺医院にかけこんで、
一晩中、赤ちゃんがどんなに苦しそうだったか訴えました。
小野寺先生は、
「食欲がなくて心配なんです」っていう私の言葉を
鼻で笑って、ぷくぷくのお腹を指差し
「この子は3日食べなくても死にません。蓄えがあるから。
ポカリスエットでも飲ませときなさい。」
なんて、よく言ってました。
私はその言い草に、軽く腹を立てながら
つられて笑って、心から安心して帰ったものです。
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それなのに。
長男が、一週間の風邪症状の後、5日熱が続いたときは、
「これはおかしい、これはおかしい」
とつぶやきながら、紹介状を書いて
「今すぐ大きい病院に行ってきなさい」
と、先生は言いました。
タクシーで大病院に向かい、込む中を半日待って受けた診断は、
入院ぎりぎりの肺炎。
へとへとで家に帰ったとき
看護婦さんを通じて、どうでした?と電話をいただいて
泣きそうになったのを覚えています。
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ちょっと口が悪くて、冷たそうで、でも実はとっても温かで
大好きだった、小野寺先生。
私は子供の病気を治してもらうためではなく、
私の不安と緊張を解いて欲しくて病院に通っていたんだと思います。
そんな小野寺先生も、
ご高齢で、ときどき薬の処方が抜けたり、
しばしば病院をお休みする期間が長くなり、
とうとう病院は閉じてしまわれました。
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もし、道端であったら、
うちの子はこんなに丈夫に大きくなりましたよって
お伝えしたいなって思いながら、もう4年。
そんなチャンスには巡り合えなかったけど、
今では、次男の鼻ちょうちんに笑って、
写真を撮りたいなって思えるくらい図太い母になれました。
小児科医として、というより
新米母を見守り育てて下さった先生として、
たとえ名前を忘れてしまっても
私が一生忘れることのない人、なんでしょう。
そんな先生に出会うことができた私は
本当に幸せ者だったんだなぁって、今でも思うんです。
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