エイプリルフールと義父の命日
春に帰省するのは、今年で4回目。
この時期に、夫と私の両実家がある札幌に帰省するのは
ちび兄弟のおじいちゃんの命日があるから。
東日本大震災で混乱する千葉から、一時避難した年もあります。
毎年、除雪した雪で作った雪山で、雪遊びをしたり、
ちび兄弟のいとこに会ったりもします。
義父が亡くなって、もう三年も経つんだなぁ。
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義父のガンが見つかったのは、ちび弟が2歳になったばかりの秋。
そのころ、義父母は、自宅で義母の母を介護中でした。
私は聞かされていなかったけれど、
義父のがんの進行は思った以上に速かったのだそうです。
夫は、千葉から二回お見舞いに行きましたが、
2・4歳のちびっこ連れで厳冬の中、鼻水をたらして
お見舞いに行って、風邪を移しては大変、
あたたかくなった5月、GWにはおじいちゃんに会いに行こうね、と
飛行機のチケットを予約していました。
入院中の義父の容体が急に悪化したのは、
自宅介護中の義母の母が、介護施設に入所した直後。
4月1日は、ちび兄が今の保育園に転園した初日。
慣らし保育に送りに行って、ほっと一息ついたとき、
夫が職場から、義父が危篤で、今から札幌に帰ると
電話をかけてきました。
義母は、夫にだけ帰ってくるように言っていたようですが
私は、とにかく家族四人、皆で帰ろうと、
病気になってから一度も会えないまま、義父と、
ちび兄弟にとってはおじいちゃんとお別れするのはいやだと
急いで4人分の飛行機の片道チケットを取りました。
適当にかばんに着替えやおもちゃを詰め込み、
ちび兄を保育園に、ちび弟を保育所に迎えに行き、
会社から帰ってきた夫と、羽田空港に向かいました。
義父は、義母が一人で見守る中、
私たちが飛行機で空の上にいるときに息を引き取ったそうです。
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あとひと月、連休まで待っていてくれたら、もう一度会えたのにな。
おじいちゃんは、ちび兄弟に弱った姿を見せたくなかったのかな。
電気関係の自営業を営んでいた義父が、今も生きてたら
きっとちび兄弟のために、たくさん発明品みたいなおもちゃを
作って、遊んでくれたんだろうなー、って思うんです。
いたずらで優しい瞳のおじいちゃんでした。
めったに会わないけれど、ちびこたちも大好きで、
よくなついていました。
のっぽさんを骨太にしたかんじの、
愉快で軽やかな印象があった義父。
別れをエイプリルフールに決めて、さっさと逝ってしまいました。
まったく、もう。いたずらっこめ。
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