オレタチの公園という場所でのアウェイ感
小学二年生のちび兄は、私が週4日ほど働いているため、
近所の公園に行くのは、週に一回あるかないか。
時々、クラスの仲の良いお友達に誘われて、
公園に行くものの、楽しく遊べる時もあれば、
途中で仲間外れにされたり、ちょっとした嫌がらせを受けて、
しょんぼりしたり、泣きながら帰ってくることも多い。
クラスでは、自分と一番仲良し、と思っている友人であっても、
その公園には、毎日のように遊んでいる、別の友達がいるんだ。
ふだんは仲良しの子も、ちび兄がいじわるされているのを
かばったりすることはもちろんなくって、
調子に乗って、一緒になって、仲間外れにしちゃったりするんだな。
鬼ごっこでずっと鬼にされちゃったりさ。
こんなとき、いじわるするのはよくない、
みんなの公園なんだから、みんなで平等に仲良く遊ぶべきだ、
なんて大人の正論を言うのは簡単なんだけど、
それはあくまでも正論で、やっぱり毎日公園で一緒に遊んでいる子達と
同じように遊んだりなんてことは、なかなか難しいんだ。たぶん。
めったに公園に行かない子でも、すんなり遊びに入って、
いつもいる子と同じように楽しく遊べる、なんてのは、
理想であり、幻想。
大人だってそうなんだ。いつも顔を合わせている人達の集団の中に
ぽっと入っていったとき、表面上は仲良くできても、
心から打ち解けておしゃべりすることなんて、できないもの。
顔に笑いを貼り付けながら、疎外感を感じて疲れたりするんだもん。
そんなちび兄の立場を少し不憫に思ったりするのだけれど、
だからと言って、そのために私は仕事をやめたりする気はないのだ。
これから先、いろんな場所で、ここは自分のホームではないと思う、
居場所がなくて淋しかったり、悔しかったりする思いを味わう機会は
いくらだってあるんだろうから。
*****
昨日は、私とちび弟もお休みで家にいて、ちび兄は仲良しの友達に誘われて、
ときどき休憩でうちに帰ってきたりしながらも、
午後中ずーっと公園で遊んでいた。ずーっと楽しそうだった。
なのに、夕方、顔をくしゃくしゃにして、涙でびしゃびしゃに濡らして
帰ってきた。
ベッドに転がって、何か言おうとしていたけれど、
うまく言葉にできないみたいで、うにゃー、とか、うにゅー、とか
ぶつぶつ言っていた。
ああ、いつもみたいに、突然、いじわるで仲間外れされちゃったんだな、って
思ったけど、何かあったの?って聞いてはみたけど、
言葉にできないみたいで、しょうがないから、近くに座っているだけにした。
しばらく経っても、気持ちが整理できないみたいだったので、
口の中に飴玉を入れてやった。メロン味の大玉。
ごろごろ寝転がったままでアメちゃんをなめ終わったころ、
なんかげんきになった、って言って笑った。
でも、ちょっとまだ涙が出てた。
たぶん、問題を解決することが大事なんじゃなくて、
気持ちに寄り添うことが必要なんだろうな、って思ったから、
話したかったら話すだろう、って思ったから、黙って横にいるだけにした。
こんなことは、これから先もいくらだってあるんだろう。
公園にはもう遊びに行かないぞ、って思ったり、
友達に誘われて、やっぱり行きたいって思って、公園に行ったあげく、
また泣きながら帰ってきたりするんだろう。
そして、私も、そのたびに心が痛くなるんだろう。
こうやって、私までこっそり泣いちゃったりするんだろう。
でもきっと、大切なのは、私が今ちび兄に起こった悲しい問題を
いちいち解決してあげることではないのだと思うんだ。
がんばれ、ちびっこ。
|
コメント
母にだって公園デビューとかあるんですもんね。
今でもそういうのあるんかなぁ?
もう友達関係のことは、親には把握できないし、
聞いたら気になっちゃうから、本人が言わない限り、
私のほうからは何も聞かないようにしよう、と。
ちなみに娘は、相談は私にではなく、
学校の違うお友達にしているようで、
そのお友達のママから聞くことがあります~。
一番に相談できる相手が自分じゃなくたっていいですよね。
もう、公園についていく年齢でもないしねぇ・・・。
打ち明けられる相手がいるってことに、
とっても安心しています~。
万が一、学校でいじめにあってしまっても、
違う学校の友達がいて、
世界はそこだけじゃない、ってことが、
ちゃんとわかってくれてれば、って。
うん。どこかにでも自分の居場所があるっていうのは
とっても心強いことなんだよね。
一つのことにとらわれていると見えなくなってしまうけれど、
もうだめだ、って思ってしまった時に、
世界はそこだけじゃないんだよ、って
視点を変えてみることができるように
なれるといいよね。手助けできればいいよね、って思う。