踏切で電車を眺める
仕事に行く途中で、電車に向かって手を振る
お母さんと小さな男の子を見ました。
それは、一見、とても幸せに見える光景で。
でも、私の胸は、ぎゅうっと苦しくなってしまったのです。
*****
ずっと昔のことは忘れてしまったけれど、
私が生きていて、一番つらかった時期は
ちび兄が、赤ちゃんだったときです。
小さい頃のちび兄は、電車が大好きで。
お出かけするときは、お気に入りのプラレールの
東海道線の後部車両を必ず手に持っていました。
新京成線の線路の近くに、我が家はあって、
電車を見るのが好きなちびこを連れて、
よく踏切のわきで、抱っこしたり、手をつないで
ずーっと通る電車を眺めていました。
それは、はた目で見ると、とても幸せな親子に
見えていたかもしれません。
知らないおばあちゃんに、よく、
今が一番いい時期よね、とか、今が一番かわいいのよね、
と話しかけられました。
そのたびに、私は絶望的な気持ちになりました。
こんなに私は幸せじゃないのに、淋しいのに、孤独なのに、
ちっとも子供が可愛いと思えないのに・・・と。
*****
赤ちゃんがいるのに幸せと思えない、
この事実は、私をとても苦しめました。
私は感情を殺し、自分の欲望を押し殺し、
自我を押さえて、赤ちゃんを最優先にする、
そんな生活をしていましたから。
なにより、つらいと思ってはいけない、という思い込みが、
私の子育てをとてもしんどいものにしていたのだと思います。
赤ちゃんの泣き声を真剣に受け止め過ぎていたんだと思います。
私は、小さい子供と接する機会をほとんど持たずにきたので
赤ちゃんは泣くものだ、泣いても仕方ない、とは
どうしても考えられなかったんですよね。
しかも、赤ちゃんの成長が私の成果だとは思えなかった。
子育ては、私にとって、自己実現の道具には
まったくならなかったんですよね。
*****
今、ちび兄は、自分が電車好きだったなんて、
すっかり忘れてしまうほど、大きくなりました。
ちび兄弟は、夜泣きすることなく、
私の睡眠が妨げられることも、ほとんどなくなりました。
今だって、私、一般的な赤ちゃん好き、子供好きじゃありません。
あの暗黒時代には、二度と戻りたくありません。
ただの赤ちゃんの母、ではなく、
私が私でいられる今、自分の時間も持てるようになった今を
とても愛しく思います。
*****
子供と一緒に、嬉しい子供の顔を見て
電車に手を振って、幸せな気持ちになれるママは、いいなぁ、
と素直に思います。
私は、そうはなれなかったけど。
電車を眺めながら、いつも、いつになったら帰れるんだろうと、
永遠に電車を眺めなくてはいけないような気がして絶望していた私は、
踏切で電車を眺めつづけるベビーカーの母子を見るたびに
なんだか、複雑な気持ちになるのです。
あなたは、今、幸せですか?
と。
下で子供が泣いてます
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育児の孤独
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コメント
お早うございます。
かこさんの現在からは、想像もできないような
お話を聞かされ、正直驚きました。
私の妻が同じ様でした。一日、向き合っているのが苦痛と訴え続けてました。
解消する為、中国の実家にちびと一緒に帰し生活させました。家族がいるし、
言葉の障壁も無いので治ってきました。2年位、通い夫で過ごしました。
一人で悩まれたらどんなにつらいか。又、それを何とか乗り越えられたのは
違った意味での強さをお持ちだったからだと思います。
外から見ては判らない、心の葛藤を皆さんもっていますよね。
貴重なお話、有難うございました。
こんにちはー。
私が、育児ノイローゼから脱出できたのは、
子供を預けて、パート派遣で仕事をはじめたからなんです。
ママ友さんとの児童ホーム(児童館)でのおしゃべりでは
私の心は満たされなかったんですよね。
専業主婦っていうのも、私には全然向かなかったんですよ。
まんまんでーさんは、奥さまをご実家に帰してあげたんですね。
よい決断だったと思いますよ。
自国の言葉を遠慮なく話せない環境で子育てって、
どれほど大変だったんだろう?って思います。
まんまんでーさんの心も、心配で、淋しくて、たくさん痛んだことでしょう。
乗り越えられて、よかったですね。
読んでいただき、ありがとうございました。