ターニングポイント
子供たちが北海道から帰ってきました。親のいないところで、大好きなおじいちゃん、おばあちゃん、いとこ達と一緒に、頑張ってお行儀よく楽しく過ごしていたみたい。普段食べないものもたくさん食べたよね。
行きは一緒に実家に帰省して、私と夫だけ先に帰宅。空港の往復で思ったのは、本当に連れ歩くのが楽になったなぁ、ってこと。ぐずらないように、泣かないようにとひやひやしながら、祈るような気持ちでリムジンバスに乗っていたのにね。
すごく大きくなった。放っておいても自分で自分のことができるようになってきた。
子供たちがいない間、何をしようって考えてたんだけど、結局、たいしたことはしないまま、だらだらと過ごしてしまいました。楽なことは楽で、とてもありがたかったのだけど、子供が家にいるからできないことって、今はそんなになくなってしまったから。
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子供たちが保育園を卒園し、小学校の放課後ルーム(学童保育)に行かずに家で留守番できるようになり、「子供たちの居場所(預け先)を確保するために働き続けること」は必要なくなりました。在宅の仕事をするにしても、お母さんは今仕事しているから待っててね、が通じるようになりました。
子供がいることによる制限が、乳幼児だったころよりずいぶん小さくなって、自由が増えてきた今、私が何をしたいのかな、って考えたとき、動きが止まってしまいました。子供が小さい時から、将来的に働き続けられるように働いてきたけれど、一つのキャリアを積み上げてきた訳でもなく、これといった自信のあるスキルも無い。
これからも仕事をし続けていきたいと思うけれど、私がいただける仕事がこの先もあるんだろうか、という不安は解消できないまま、数年経ってしまったなー、と。
この間、札幌で付き合いの長い友人と、私たち今がターニングポイントなんだよね、なんてことを話してました。乳幼児育児を通り過ぎて、自分のことも考えられるようになって、40歳を前にして、さて、これからどうしよう、と。
子育てや家のことを放り投げることは今後もできないけれど、それに専念しなければいけないほどの労力はかからない時期が来てしまった。
どうやって過ごしていこうね、これから。
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今日でブログを書き始めてから丸四年経ちました。子供たちが小さかったあの頃、仕事をすることと書くことは、私を保つためにどうしても必要なことだったんだと思うんです。子供と私の間に境界を決めて、見えなくなってしまった私の気持ちを言語化して取り出して、あやふやに溶けてしまった自分を再構築するために。
私はここにいるよ、って必死になって叫んでいたのだと思います。
今は、なんだろう。日々考えることはそれなりにあっても、それを不特定多数の人にあえて伝える必要はないかなー、って、ブログに書かないことも増えました。感じて書いたものに対しての反響を受け止める気力とか覚悟、時間も必要だったりするし。
読者さんが読みたいところだけ拾うのは仕方ないのだけど、曲解して利用されると面倒。
もともと、書きたいことを書きたい時に書く、という姿勢でやってきたので、書きたいという思いが沸き上がってこないときは、書かなくていいよね、と思っています。
今は、立ち止まって、休んで、考える時期なのだろうなぁ。私は何が好きで、何をすると楽しかったり嬉しかったりするのか。改めてね。
最近、時間の流れが遅いのです。やりたいことがたくさんあって何かを作っている時は時間があっという間に過ぎていくけれど、眺めるだけで手を止めている時、待っている時は、ゆっくりゆっくり時が経つ。
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これからも長く続くであろう日々の暮らしを楽しんで過ごしていけるように、できることから。ひとつ一つ。
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コメント
2人ともが小学校にあがった、
ってのは、ものすごく大きいです。
まだ、子供だけの留守番はちょっと心配なんで、
短時間しかさせてませんが、それでもすごく楽になりました。
子供たちを自転車に乗せ、スーパーまで行き、
スーパー内を2人連れて商品を選び、それをカゴに入れて、
また2人を前後に乗せて帰る、ってことがもう必要なくなったんですもの。
いざ、子供に縛られず好きに出来る、なんて言われても、
私は戸惑ってしまいそうです・・・。
子供たちと一緒に買い物しなくてよくなって、とっても楽になりました。
落ち着かないですよね。
子供を前後に乗せていると、たくさん買い物しても積むとこないし。
送迎が無いのも楽ですよね。雨の日とかは特に。
こうやって、だんだんと手が離れていくんですよねぇ・・・。