大切な人を助けるということ
先日、道端で、友人にばったりと会いました。
この友人、けっこう気は合うのですが、
生活範囲と、子供の年齢が微妙に違うので、
なんだかんだで顔を合わせるのは、半年ぶりくらいです。
いっぱい話したいことが溜まってるの、
近いうちに会おう!と友人が言い、
そのときは、お互い時間がなく別れました。
翌朝、驚いたことに、ショッピングセンターで遭遇!
お互い30分しか時間がなかったんですが、
これはもう、神さまが話せと言っている、と思い、
急いでマックに入って、100円ドリンクを注文。
友人曰く、ここ最近、自分の問題に精一杯で
大切な人達のピンチやSOSに気づくことができなかった、
それがとても悔しい、と。
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転職・進学・別離などで、心が傷ついたり、
元気や、やる気がなくなってしまった時、
大切で、近い人であればあるほど、
その問題を「自分が」なんとかしてあげたいと、
つい思ってしまいます。
でも、結局、その人の問題は、その人が解決したいと
求めなければ、どうしようもないんですよね。
見守るしかない。
大切な人の問題を、自分自身の問題にしてしまっては
いけないんだと思うんです。
大切な人が、それで自分が動いて解決すべき問題だと
思わなくなってしまうかもしれない。
誰かが代わりに何とかしてくれても
たぶん、それは本当の解決にはならない。
できることは、きっと、あなたを思っている、
あなたが今問題をかかえていることに気づいている、
私がここにいるよ、と伝えるだけ。
そして、その人が、弱音を吐きたいと思うときに
話を聞いてあげることくらい、だと思うんです。
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友人には、こんな話もしました。
大事な人のピンチの瞬間に助けてあげられなかったとしても、
それはとても、あなたにとっては悔しかっただろうと思うけど、
手遅れになったわけじゃない。
多分、その時、立ち会えなかったのは
その人にとって、その時に、あなたの力が無くても
大丈夫な力が有ったからだと思う。
あなたの存在を思い出して、
そういうあなたがいると知っているだけで
きっと力になれたんだよ。
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友人と、ぎゅうっと30分間、
とても濃い話をして、またねって別れました。
なんだか、友人は、とってもすっきりした顔をしていました。
そして、大切な友人が悩んでいるときに
立ち会わせてくれた神さまに(何の神さまかはハテナですが)
ありがとうございます、って思ったんです。
つれづれな話でまとまらないんですけど。
そんなことが、ありました。
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